ITの歴史に名を遺した偉大なるエンジニア達がいます。
その名もセキュリティエンジニアと呼ばれるホワイトハッカー。
法を破ってしまった人もいる中で、見事今のIT社会を作り上げた偉大なる有名ハッカーたち9人を紹介します。
若手ホワイトハッカー2人も紹介!
ホワイトハッカー有名人
ジョン・トーマス・ドレーパー
1943年生まれ。
世界初のハッキングを行ったと言われる人物。
電話のシステムをハッキングして、無料で長距離電話をかけていました。
子供の頃から無線機を組み立てていたという彼は、21歳で空軍に入隊後、赴任先で無料で電話をかける方法を発見。
その後「ブルーボックス」という音が出る無料電話装置を開発。
スティーブジョブズとパートナーであるウォズニアックが、初めて開発して商売をしたのもこの無料電話。
実は、ジョン・トーマス・ドレーパーの開発した無料で電話をかけれられるブルーボックスをヒントにしています。
スティーブ・ウォズニアック
1950年生まれ。
スティーブ・ジョブズと共にアップルを立ち上げた共同設立者であり、エンジニア。
アップルが最初に製作したマイクロコンピュータを独学で開発。
実力だけでなく、温厚で気さくな人柄の為「ウォズの魔法使い」と呼ばれています。
エンジニアの父を持つウォズニアックはカリフォルニア州で生まれ
- 6歳:アマチュア無線の免許取得
- 13歳:トランジスタの組み合わせによる原始的なコンピュータで科学コンクールに優勝
- 21歳:スティーブ・ジョブズと出会う
幼少の頃から天才肌を見せつけてきたウォズニアックは、大学生の頃にジョブズと無料電話装置「ブルーボックス」を開発。
ローマ教皇にもいたずら電話をした過去があります。
更に、商売上手なジョブズがブルーボックスを学内で売りまくって荒稼ぎ。
その後、ヒューレットパッカードに入社したウォズニアックは、電卓設計の仕事をこなす。
それと同時にジョブズからの要求でこなしてきた数々の開発を経て、初期のApple Iを開発。
最初の売れ行きは良くなかったものの、2か月後には好転し大量生産することとなりました。
ジョブズがアップルを法人化した時にはヒューレットパッカードを辞め、Apple Iの再設計に取り掛かりますが、これもまたほぼ独学&一人の力で行っていたとのことで、まさにアップルの大黒柱。
金銭的執着がないあまり、ジョブズに報酬の取り分をごまかされることもありましたが(笑)陽気で明るい性格の完全な技術オタクであるウォズニアックにはファンが多く、
- 地域の子供や若者のための情報化教育活動
- ハード・ソフト両面共に芸術的と称される設計センス
で称賛を浴びているだけではなく、ウォズプランという自分の持っているアップル株を従業員でも買えるようにしてあげたりと、素晴らしい活動を行ってきているのがウォズニアックです。
アップル株を手にした従業員の中には、家を建てたり子供を大学に入れてあげたり、金銭的余裕に恵まれました。
典型的な技術オタクであるウォズニアックこそ、天才ハッカーです。
リチャード・ストールマン
1953年生まれ
ニューヨークで生まれたストールマンは、18歳でハーバード大学に入学。
そこでAI研のプログラマとなり、ハッカーコミュニティに加わったのが最初のきっかけ。
21歳でマサチューセッツ工科大学院に入学し、テキストエディタTECOやEmacs、LISPマシンOSの開発を行う。
数々のフリーソフト開発を手掛けたストールマンは、35歳以下のコンピュータの専門家を対象とし、技術的または業務的な重要な貢献をした者を表彰するグレース・ホッパー賞を始め、
- EFFパイオニア賞
- Yuri Rubinsky記念賞
- 武田賞
など多くの賞を受賞し、多数の博士号も取得している。
私生活では質素な生活を好み、追跡を受けないようにとのことから、携帯すら持っていないという徹底ぶり。
ハッカーとしての生まれながらの素質を持っているのかも。
ティム・バーナーズ=リー
1955年生まれ。
イギリスの計算機科学者で【WWW】を考案した人物。
イギリスロンドンで数学者の両親から生まれた彼は、オックスフォード大学在学中
- はんだごて
- TTLゲート
- M6800プロセッサ
- 中古のテレビ受像機
でコンピューターを組み立てる。
友人とハッキングをして大学のコンピューター使用禁止にもなりました。
電信電話会社に2年間勤務中は、バーコード技術や分散トランザクションシステムを担当。
転職後はソフトウエアやマルチタスクの開発に力を注ぎつつ、退職後は独立しソフトウェア技術のコンサルタントとして活躍。
1990年に、今では当たり前のように使われている【www】を開発。
URL・HTTP・HTML の最初の設計も彼です。
下村 努(しもむら つとむ)
1964年生まれ。
ノーベル化学賞を受賞した生物発光研究者の下村脩を父に持つ愛知県名古屋市生まれの物理学者であり、コンピュータセキュリティの専門家。
1歳でアメリカに渡米。
10歳でコンピュータクラブに参加し、プリンストン大学工学部にあるコンピュータの操作にのめり込む。
- 12歳には飛び級で高校生に。
- 15歳にはプリンストン大学の天文学部で計算担当を務める。
- 17歳でカリフォルニア工科大学に入学。
高名な物理学者リチャード・P・ファインマンのもとで2年間学び、19歳でロスアラモス国立研究所へ。
22歳から6年間、ハッカー対策のプログラミングに従事。
物理学の研究者としても、教育を行っていました。
31歳でUCSDのサンディエゴ・スーパーコンピュータ・センターで、主席特別研究員を務めていた頃、ケビン・デイビッド・ミトニックというアメリカでもっとも有名だったクラッカー(ブラックハッカー)の逮捕に協力。
このことで一躍時の人となります。
ホワイトハッカーとして有名になった下村は、サイバースペースで最も影響力を持つ50人にリストアップされ、「Takedown」という本を出版。
「ザ・ハッカー」というタイトルの映画化もされました。
『ニューズウィーク日本版』1995年3月8日号の「未来を動かす40人」の記事には、下村が「ネットワーク刑事」としても紹介されています。
ケビン・ミトニック
1963年生まれ。
典型的なクラッカーからのホワイトハッカーで、過去にはクラッカーとして実際に1995年に逮捕。
ハッカーの中で実刑を受けたのは、ミトニックが初。
1995年に逮捕されるまでは、アメリカでは最重要指名手配クラッカーだった。
ロサンゼルス生まれのミトニックは、友達も少なく電話回線のクラッキングに興味を示し、そこからコンピュータのクラッキングを行うようになりました。
ミトニックは、人間の心理的な隙や、行動のミスにつけ込んで個人が持つ秘密情報を入手する方法(ソーシャル・エンジニアリング)を使ってクラッキング。
- FBIを盗聴
- コンピュータ会社のデータを盗む
- 企業の機密データ・2万件以上のクレジット番号の不正入手
- 電話交換機の遠隔操作
- ミトニックを追っていた主任捜査官の机引出に「奥さん誕生日おめでとう」のメッセージと共にプレゼントを忍ばせる
などの行為を行い、常にハッキングをして逃げ続ける彼を逮捕できずにいた警察は、下村 努に捜査を依頼。
そう、下村とは因縁の関係でもあるのです。
下村のコンピューターに保存されているプログラムを盗み、脅迫するミトニック。
電話で下村を脅迫をするミトニックの話し方で見破られてしまい逮捕され、釈放された後はFBIに協力し、ホワイトハッカーに転向する。
それだけでなく、なんと企業のセキュリティを行うコンサルティング会社を設立。
今では、セキュリティ側に回り、メールの危険性について講義なども開いている。
ミトニックは下村に「君の技術に脱帽した」と伝えたという。
ロバート・T・モリス
1965年生まれ。
父親は暗号者かつアメリカ国家安全保障局のチーフ・サイエンティスト。
22歳の時にハーバード大学で学士号を取得。
23歳でインターネットワームというコンピューターシステムに悪害を与えるプログラムを世界中にばら撒き、全世界の約10%のコンピュータに感染させた経歴を持つ。
2年後にコンピュータ詐欺および不正使用取締法違反として、告発。
罰金や保護観察を経て、34歳でハーバード大学で博士号を獲得し、マサチューセッツ工科大学の准教授に就任。
40歳でスタートアップ企業に投資する会社を設立しました。
ケビン・ポールセン
1965年生まれ。
彼も元クラッカー(ブラックハッカー)。
ロサンゼルスのラジオ番組で「102番目に電話をかけてきた人にポルシェが当たる!」との企画で、どうしても車が欲しかったポールセンは、自分が102番目になるようにハッキング。
成功はしたものの、結局ばれて逮捕されただけでなく、車も没収。
昼間は世界最大の研究施設で働き、夜はハッキングを繰り返していた彼はメールや電話、コンピュータ詐欺、資金洗浄、司法妨害などといった罪を重ね、収監。
その後、ジャーナリストとして活動し、セキュリティとハッキングに関するニュースを執筆。
これが大成功し、更には性犯罪者の逮捕にも協力したことで、名誉挽回。
リーナス・トーバルズ
1969年生まれ。
LINUXを開発したフィンランド出身のプログラマー
父親はジャーナリストで祖父は詩人。
19歳の時にヘルシンキ大学で計算機科学の修士号を取得。
UNIXとC言語も学び、91年にLinuxを一般公開。
多くのエンジニアに改良を加えられて「Linux」はインターネットサーバーを始め、
- 携帯電話
- デジタル家電
など機器のOSとして普及されました。
歴史に残るであろう若手ホワイトハッカー
西尾素己(にしお・もとき)
プログラマーの叔父から9歳の時にパソコンをプレゼントされてから、数年後の中学生にはエラー修正を自ら行い、少しずつホワイトハッカーの道へ足を踏み出す。
ホワイトハッカーのコミュニティにも参加し、攻撃者よりも先に脆弱性を発見し、ホワイトハットと呼ばれる集団に報告するまでに成長。
実家の工場を継ぐつもりで高専に入ったものの、16歳で中退し、そこからはITエンジニアとして目まぐるしい活躍を遂げる。
その後、ヤフーにも転職し、日本最大ウェブ企業のセキュリティを担う立場に。
育成も行う。
そしてデロイトというコンサルティング会社に就職。
そして西尾さんは
- 20歳でシニアコンサルタント
- 21歳でマネージャー
に昇進。
最年少執行役員を目指して突き進んでいます。
パリサ・タブリズ
グーグルのセキュリティチームのリーダーとして約10年間活躍し続けている凄腕ハッカー。
今回紹介してきた中で唯一女性なのと、スタートも他の人よりも遅い。
初めてハッキングしたのは大学生。
自分で作ったwebサイトで表示される広告を消したくて、ブロックするプログラミングを作ったのがきっかけ。
今では広告収入を主としているグーグルで働いているのだから、人生とは不思議な縁。
2012年には雑誌『フォーブス』で、テクノロジー分野における30歳以下のパイオニア30人に選出され、コンピューターサイエンスの修士号を取得。
ホワイトハッカーになる人の共通点
歴史に残る話題のホワイトハッカーの共通点として
- 子供の頃からパソコンに触れていた
- 一つのことに打ち込んでいた
- コンピュータおたく
が多い印象を受けます。
これは、ホワイトハッカーになるための要素がぎっしり。
また、逮捕されてしまうハッカー達は
「自分の作った技術を試したい」
という悪意のない人から、ただ単に
「ハッキングが楽しい」
という人まで様々。
でも、そこから立ち上がる人も多い。
ホワイトハッカーは、他人から、そして国からも認めてもらえる立派な職人ですし、誰もがなれる訳ではないので、歴史に残るなら「偉大なハッカー」として刻まれたいですね。
ホワイトハッカーとは?からなるための方法や年収・資格・学校を総まとめした記事はこちらから!
コメント
はじめまして。
興味深く記事を読ませていただきました。我が家も中学生の息子がPCオタクです。
ホワイトハッカーに興味を持っています。
有名なホワイトハッカーさんの本や映画など調べてみます(^^♪
ありがとうございました。
コメントありがとうございます♪
ホワイトハッカーは今やなくてはならない存在ですので、PCオタク素晴らしいと思います!
ホワイトハッカーになるには、セキュリティの知識が必要になるので
もしスクールなどを検討されているのであれば、セキュリティ専門のスクールがいいかもです^^
セキュリティ部門は一番難易度が高いですが、諦めずに頑張れば出来ると思います!
応援しています^^